【雑談】ネタ出し失敗顛末記
このブログには『日記』と『本記事』の2つで構成されています。『日記』はかなり軽い気持ちでザックリ書いているのですが、『本記事(時々本ネタと言ったりもする)』はネタを出してまとめる方式を取っています。
今までも『映画の感想』とか『コミックの発売日サイトをまとめたり』といろいろやってきました。何かと調べ物が多く、書ききると体力が消耗しているものも多々、存在しました。
今回はネタのハードルを上げすぎて失敗した1つの例を紹介します。
ブログ作りの参考になるかどうかは、これを読んだ後のそれぞれの感想にお任せします。
何がやりたかったか?
以前、書いたこのネタを覚えているだろうか?
そう、宝くじが当たったらどうしようかなぁ…という気持ちを妄想力で書き綴った記事である。
そして、この記事を書いて以降、初の『ジャンボ宝くじの当選発表』が10月21日行われた。
私はこの宝くじの結果をまだ知らない。どうせならブログのネタにしようと思ったのだ。
そこで私は考えた。
iPhoneのアプリを使って、宝くじをシミュレートし、それを踏まえた上で宝くじの発表をネタにしたら良いんじゃない?
……と。
以前に興味本位でダウンロードした無料のアプリを思い出す。
年間30万円分の宝くじをバラで買い続けて、その収支をボーっとみるソフトです。
当たり前のことですが、これが一向に1等が当たらない。
上の画像を見てもわかるように604年経っても最高は3等の100万が5本である。
で、これをどの様に使おうと思ったかというと……。
日本史とからめて見ようと考えたのです。
例えば604年と言えば厩戸王(いわゆる聖徳太子)が十七条憲法を制定した年です。
こうやって歴史的な出来事と宝くじシミュレーターを絡める事によってネタ化させようと企てていました。
で、
何千年たっても当たらないのに3枚だけ買った宝くじが当たるはずが無いじゃん(チャンチャン♪)
で締めようと画策していたのです。
しかし、その思惑は素材作成段階から難航することになります。
僕『だけ』の失敗…
まず『素材撮り』です。撮影前に抑えておきたい歴史的な出来事をピックアップします。
年表の年数と経過年数とピッタリ合わせるためです。
しかしそのピックアップから難航します。
一体どの出来事をピックアップすれば良いのかわからなくなった。
短すぎてもダメ、たくさん選びすぎてもダメ。
この歴史の出来事をピックアップする作業に1日かかりました。
ようやくピックアップが終わり、スクショの撮影です。
1回スタートさせると、後戻りは出来ません。いわゆる一発撮りです。
ここで私は2度、失敗をしました。
1度目が
『超高速モードで年数を進めていったので、取り逃しが多かった』
このアプリは1年がゆっくり過ぎていく低速モードから、1年が一秒ほどで終わる超高速モードまで4段階くらいの速度調整が出来ます。
やんちゃに『超高速モード』を選んでしまい、狙った年数でスクショを撮ることが出来ませんでした。
後に、狙った部分は低速で、後は超高速でやればいいじゃん…と気がつき、2回目の撮影に入ります。
2度目
何の奇跡か50年ちょっとで1等が当たってしまった。
スクショを取る前に1等が当たってしまい、歴史が意味なくなってしまった。
と言う事です。
そして3度目……
狙ったところで低速に切り替えてスクショを撮っていきます。
これが意外と時間のかかる作業でした。
気がつけば2016年なんてアッサリと超えていきます。
気がつけば6666年、ここで初めて購入金額が20億を超えたら終了することを知ります。
結果的に1億が最高で4億が当たりませんでした。
実際は2016年まで歴史を振り返るものなので、2016年以降は惰性でも良いんですが、行き着く所(1等が当選)まで行きたかったわけです。
企画倒れの臭いがプンプンとしてきます。
しかし、それではありませんでした。撮影と編集でかれこれ1日かかって既に2日が経過していました。
歴史に飲まれる……。
ここはアッサリいいかなぁ……と甘く見積もっていた歴史の部分。
例えば645年の大化の改新では。
『大化の改新が645年にありました』とアッサリ書くつもりでした。
それに事柄を付け加えたら大変になった。
『大化の改新は当時の実力者、蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足暗殺した乙巳の変と言うクーデターの後に発布された政治改革です』
これならまだ良い。
『聖徳太子の死後、朝廷で1番の権力者になったのは蘇我氏でした。蘇我馬子の子である蘇我蝦夷は権勢を思うままに操り始めます。蝦夷の息子である蘇我入鹿を大臣に据えると、入鹿は自身の意のままに操れる古人大兄皇子を擁立するため、そのつなぎとして皇極天皇を擁立した。そして当時、有力な天皇候補であった山背大兄王が邪魔になり、上宮王家を襲い自決に追い込み、厩戸王(聖徳太子)の血筋を絶やす。この件に関しては父親の蝦夷も嘆き怒る。』
と。入鹿の蛮行ぶりも書きたくなってしまい、ドンドン増えていく。
古代ならまだ良いが鎌倉時代や室町時代、そして桃山時代などは大変。ザックリ書くとしてもそれなりの知識が要求される。事柄を理解しないで書くとザックリと書くのも難しい。
よって、歴史系サイトと家にある歴史本を散々読みふけりだした。
息子が脅す『歴史クラスタって怖いよ~ちょっと違うだけでも親の敵のように突っ込んで来るからね』…と。
小心者の私はそのあたりをボンヤリとぼやかしながら素人アピールを欠かさずに事柄を書いていった。
室町幕府が終わる頃にはゆうに文字数は2万文字を超えていて。3万文字に届く勢いだった。
そこで、ふと思う。
1ページで収めるの無理じゃね?
そりゃそうだ…ここから先の桃山時代、江戸時代などどう考えてもこのペースで行けば倍の文字数が必要になる…。
アッサリすぎる訳でもなく、かと言って詳しすぎるわけでも無い中途半端なものが出来上がっていった。
応仁の乱をまとめている時にはその複雑な人間関係から何度か頭から煙が出る思いだった。
それに加えて、最近の歴史教科書の改編で今まで『こうだ』と思っていたことが多く変更されているので、そのあたりも注意しなければならない。そもそも厩戸王って…。私達の時代は聖徳太子と書けばOKだったのに……。大化の改新は645年の大化元年では無くて翌年の656年になっているなんて…、鎌倉幕府は『イイクニ作ろう(1192)』だと思っていたのに源頼朝が守護と地頭を置くことを朝廷に認めさせた1185年になってるなんて……。
征夷大将軍に任じられる事が幕府の始まりじゃないとしたら、足利尊氏の室町幕府や徳川家康の江戸幕府は???
混乱が混乱を呼び、頭がパンク寸前だった。
そして、ある事を思い出す。
あれ?宝くじ忘れてね?
いつの間にか歴史に飲まれ、本題を見失っていた。
そして私はこのネタを一時的に断念する事にした。そもそも長すぎて面白くない。
ネタがくどい!!!
宝くじのネタが空回りしてる。
その為に今回書いたものは一時的に下書き保存することにしようと心に決める。
いわゆる『お蔵入り』である。
ただ、今回のことで歴史はやっぱり面白いなぁ…と思ったのでリベンジすることを誓うのであった。
私は後醍醐天皇なみに諦めが悪い男なのだ。
(詳しく知りたい方は後醍醐天皇および正中の変および元弘の乱などを参照してください。)
ちなみに実際の3枚だけ買ったオータムジャンボ宝くじですが……。
当たりましたよ、いつもの如く300円ですが……。