映画『聖の青春』を観たので雑多だが感想を書いてみました(少しネタバレあり)
はじめに
今回は映画を観てきましたのでその感想などを書かせて貰います。
今回見た映画は『聖の青春』(さとしのせいしゅん)
原作は2000年に出版された大崎善生氏のノンフィクション小説『聖の青春』1998年に29歳の若さでこの様を去った将棋棋士・村山聖の生涯を描いた映画です。
村山聖を演じた松山ケンイチさんは自らこの役を願い出て役作りの為に65kgだった体重を20kg増量、85kgあたりまで体重を増やして撮影に挑んだそうです。
ライバルである羽生善治氏を演じたのは若手注目株の東出昌大さん。
羽生善治氏と言えば現代における将棋界の至宝の様な存在として知られていますね。この1990年代、私は同時期に3人の天才が存在したと思っています。野球界ではイチロー選手、競馬界では武豊騎手そして、将棋界では羽生善治氏です。
そんな羽生善治さんと互角で戦った1人の棋士の物語です。
長い文章なので、面倒くさく感じたら、せめて予告編だけでも観ていってください。
映画冒頭
ある春の日、公園の脇で倒れ込んでいるひとりの男がいる、彼のアパートの下で町工場を営む年配の男性が彼を見つけ、病院に連絡を取ろうとするも拒否、すぐに将棋会館へ向かってほしいと懇願する。工員のの軽トラックで棋士会館に迎い、1人では歩けない男に肩を貸し、将棋会館内の細い廊下を奥に進む。その先の和室には一つだけ置かれた将棋盤と一組の駒、既に訪れていた対局者、そして記録係。フラフラと将棋盤に向かう男はただ静かに将棋の駒を対局者と並べ始める。呆然とその光景を見ていた工員を尻目に記録係がスッとふすま戸を閉める。
同じ会館内では、一つの部屋に沢山の将棋盤が並べられており、その将棋盤に向かい合わせに座る多くの若者達は一心不乱に将棋を差している。
明日のプロ棋士を目指す奨励会の面々だ、よく見ると彼のアパートによく訪れる見知った顔もある。しかし、目の前にしている若者たちと先程運んだ彼とは全く違うものを感じ、『一体彼は何者なんや』と呟く。
そんな感じで映画は始まった。
彼の名前は村山聖
村山聖、プロの将棋棋士の1人で広島県の出身。彼が5歳の頃にネフローゼと言う腎臓の難病を患い、幼少期の殆どをを病院で過ごす。そんな彼の闘病生活を支えたのは父から教わった将棋。
村山少年は将棋にのめり込む、負けず嫌いな性格だった村山少年は体に障ると病院でも注意を受けながらも朝から晩まで将棋を指し続けて上達し、月3回の外出日にはアマ三段の大人を負かすほどの実力になっていた。
10歳の頃には元奨励会員が開く将棋教室に通うようになりアマ四段の認定を受けている。
地区の小学生の中では群を抜いており、『中国こども名人戦』では4大会優勝。
中学1年では中学生将棋名人戦においてベスト8である。
当時、更に強い相手を追い求めるがゆえに、プロ棋士で名人候補だった谷川浩司を意識するようになりプロの棋士を目指すようになる。
そして師匠の森信雄と出会い大阪にて森との共同生活を始める。
紆余曲折があり二回目の奨励会試験にて奨励会入会を果たす。
その後、村山は師匠である森の住居から徒歩1分ほど離れた前田アパートの二階で単身、生活を始める。
体調不良からしばしば高熱を出すことも珍しくなく、師匠が村山の身の回りの世話やおつかいなどをしていたのは有名なエピソード。
奨励会を2年11ヶ月と言う異例のスピードで通過。(これは谷川浩司や羽生善治より早い)プロデビューを果たす。
この頃から『東に天才羽生がいれば西には怪童村山がいる』と言われるようになる。
病気に悩まされ、タイトル戦には縁遠いが村山の噂は将棋界に広く語られる。
後に大阪から東京に移籍。1995年には名人以外10人しか存在しない、A級八段にまで登りつめる。しかしその後体調が悪化し1997年の春にはB1級に降格してしまう。
丁度その頃に膀胱がんが発見される。当初、子供が作れなくなるなどの理由から手術を拒否していたが、医師などの強い説得により手術を決意し八時間に渡る手術をし、片方の腎臓と膀胱を摘出する。抗がん剤や放射線治療は脳に悪い影響が出るからと拒否し、休場すること無く棋戦を戦い続け、1期でA級に復帰を果たす。
生涯成績 356勝201敗(うち不戦敗12) 勝率0.639
タイトル挑戦は1992年の王将戦の一度。
一般棋戦の優勝は若獅子戦 1回(第13回 = 1989年度、決勝は1990年10月1日)
早指し将棋選手権 1回(第30回 = 1996年度)の2回
1998年8月8日29歳の若さで死去、死因は膀胱がんの再発。
最終段位は八段だったが、死去の翌日九段を追贈される。
A級在籍のまま逝去したのは、大山康晴、山田道美、村山の3人だけである。
羽生善治への敬意と憧れ
作中で「羽生さんとの対戦は他の棋士たちとの20勝に値する」と村山は語る。
大阪から東京に出た理由も『羽生さんの近くで同じ空気を吸いたい』ということらしい。
この作品に置いて村山にとって羽生は絶対的な存在でこの人を越えて名人になりたいと言う想いとともに強い憧れのようなものを抱いている。
対局が終わり将棋会館を後にする羽生の後をついていく村山。特に声をかける訳でもなく夜道、羽生の後ろをつける村山。ふと羽生が気が付き振り向くと立ち止まり咄嗟に視線を外す。
羽生が再び歩きだすと、再び後をついていく村山。流石に羽生も気になる再び振り返り、軽く村山に会釈をすると、行き場が無いように視線を泳がせ、小さく会釈して俯いてしまうシーンは完全に村山の好きな少女漫画世界である。憧れの人の後をつい追いかけてしまって、話しかけることも出来ずにドギマギしてしまう。ヒロインのそれと同じような様なものである。
作中では羽生に勝利した日に対局後の宴席の最中、村山が羽生を誘い宴席を抜け出して近くの食堂に行くシーンもある。
村山が前乗りして見つけた素朴な食堂でとても気に入っていると羽生に語る。
「この食堂の主人は寡黙な人で絶対に気付いているのに話しかけてこないんですよ、いいですか絶対に羽生さんにも話しかけてきませんよ」と得意気に語る村山。直後、店の主人が注文の品を運んでくるが「あれ、将棋の羽生名人じゃないかね?後で色紙にサインしてよ」と話しかけ、バツの悪そうな村山に苦笑しながら「飲みましょう」とビール瓶を差し出す羽生。
その後、噛み合わない趣味の話や村山の「僕らはなんで将棋を選んだんでしょね」という問いかけ、そして村山の夢などを語るシーンになる。
最後に「羽生さんが見ている海みんなとは違う」と言う言葉に羽生も「自分も深く潜りすぎるともう戻れなくなってしまうのでは無いかと不安になることがある」と答えた後に「でも、村山さんとなら一緒にいけるかも知れない、いつか一緒に行きましょう」と言われ、物凄く嬉しそうに照れくさそうに「はい」と応え俯く村山の表情が印象的である。
ライバルでありながらも憧れの対象の人にこんなこと言われたら、私だったら泣いてしまうだろうな…とか考えたてたら、本当に涙腺がやばくなっていた。
前評判でハンカチ必須などと言われていたので、逆に絶対に泣くもんかと挑んだ映画だったのに、このシーンはちょっと胸に来てしまった。自分では泣いてないぞ!と意地にもなったが眼鏡が曇って前が見えなくなっていたので、意地を張るのは辞めて眼鏡を外し、一度だけ涙を拭った。予告編にこのシーンはあるのだが、確認で観るたびに涙腺が緩くなってしまう。
ちなみにこのシーンが私のとっての唯一の泣き所だった。
村山が最後に羽生と対局したのは対戦成績6勝6敗で挑んだNHK杯決勝。
これは映画のクライマックスシーンである。
勝負は村山優勢で進んでいく。終盤、持ち時間を使い切り1手1分以内の打たなくてはいけなくなった状況ではあったが、その局面を見ていた誰もがほぼ村山の勝利を確信していた。『2七歩』を打てば勝てると誰もが思った。羽生も投了を覚悟したと言うが、村山の1手は「7六角」と打ってしまう。「終盤は村山に聞け」と言われるくらいに終盤に強い棋士だったので、これは信じれないミスだったのだろう。これで一気に形勢が変わり、村山は敗北する。
映画のシーンでは画かれていないのだが、表彰後のインタビューにおいて「なんか勝てそうだなと思ったんですけど……すると大ポカをやってしまいました。まぁ、時間も無い将棋なので、まぁ…そういうことはよくあることなんですけど…」とサバサバと語っていた。
内心はとても悔しい気持ちがあったのだろうが、負けを受け止めた発言のようにも聞こえた。
そこから村山は公式戦の5戦を全勝し、一年間の休場を発表する。
療養中、一度だけ羽生を訪れた村山、彼が最後に会った棋士は羽生だったと言う。
村山の死亡が伝えられたのは8月10日、その日も羽生は対局があった。深夜まで将棋会館にいた羽生は翌日に朝イチで村山の実家に弔問に訪れる。東京から急いでも5時間はかかる広島の実家に昼前には到着し、弔問を済ませて翌日には対局が控える東京に帰っていったという。
映画公開を記念して羽生氏と原作者の大崎善生氏との会談が行われたが、その様子は以下の記事などで知ることが出来ます。
「コッチ側(笑)の人間だった村山聖」
この映画では大阪で村山が実際に住んでいたアパートでの撮影が実現している。
彼の部屋には3000冊に及ぶ少女漫画を含めた漫画があり、彼の逸話として気に入った漫画は必ず「観賞用と棚に飾る用と保存用」の3冊を購入していたと聞く。
そんな彼の部屋が再現されていたのだが、実際の写真とそっくりであった。
本棚……というかカラーボックスの中には縦横に並べられた漫画、棚に入り切らず積み上げられた漫画、実際はどうだっか知らないが劇中では冷蔵庫の上に貼られているのは「リン・ミンメイ」のポスター。よく見ると横済みにされたアキラが六冊。
つい私はそのシーンで身を乗り出す。今でこそ、その数は減ったが私も同じような部屋に住んでいた。「これは既視感か?」と思えるほどに私の部屋と似ていた。
今でも積み上がった漫画などはそっくりなんだが……。
作中、彼はその中で「イタズラなKiss」を夢中に読んでいた。自分の祝賀会に遅れてまでである。急ぎ呼びに来た弟弟子が急かすもの意にせず「あと、3冊……」と漫画に夢中である。
そんな姿を見て、「おやおやこれはこれは……」と私は喰いつく。
祝賀会に遅れて登場して、体の事を心配する師匠に「あ、漫画が面白かったんで…」とあっけらかんに応じる。
なるほど、こういうタイプはアレだな…うん、コッチ側の人だな…と私は思った。
「コッチ側の人」と言うのは……まぁ、なんていうか「オタク側の人」と言うことである。
(1997年のインタビューで好きな漫画家は萩尾望都と塀内真人(夏子)と挙げているらしいので塀内夏子推しの私は一気に親近感を覚えた)
牛丼は吉野家一択だったり、自分が良いと思ったもの対してのこだわりは強い。
このタイプは良いと思うまでに時間がかかるが、良いと思ったら頑なに支持をしてしまう。
劇中のエピソードでは大阪から東京に移り住んだ時の住居選びでもそんなこだわりが見ることが出来る。
師匠の森と親交の厚い将棋雑誌編集者の橋口(モデルは原作者)に連れられて何件かのアパートを巡るがなかなか自分の気に入る物件が見つからない。そんな時に訪れたビデオファン付きのワンルームマンションを村山は気にいる。
「これはいかん、村山くん、これは女向けの部屋や」と橋口が言うも一歩も引かない村山。
何度もいけないと言われるうちにドンドン不機嫌に頑なになっていく。
これを観ていて「だよねぇ…」と思わず頷いてしまった。
こんなエピソードも劇中では語られる
彼は大阪時代に行きつけの古本屋がある、そこで彼は少女漫画を物色するのだが、どうも理由はもう1つあるようだ。いつもレジにいる女性が気になっているようなのだ。
ただ、上手に話すことが出来ない。
大阪から東京に移ると言うときも、やはり上手に話すことが出来ない。
膀胱がんが見つかり、失意の中で大阪に行ったときも立ち寄る。もしかしたら一言気持ちを伝えたかったのかもしれない、でもやはり伝えることは出来なかったシーンは切ない。
あと、大阪から東京に移籍したときもそんな人見知りっぷりは発揮された。
検討室で奨励会の若者たちが検討をしている中に突然あらわれる村山。
軽い挨拶をすると皆に背を向けて将棋盤に向かい始める。若者たちにとっては大きすぎる存在の村山、恐縮してとても話しかける事など出来ない。しかし、若者たちの検討中にチラリ、チラリと振り向く村山、そんな視線を感じながら検討室は微妙な空気に包まれる。
このタイプは一旦中に入ると存在感を発揮し始めるののだが、それまでが結構面倒なのである。
一つでも共通項があればそこから一気に仲が良くなったりするのだ。
結果的に同世代の荒崎(モデルは3月のライオンの監修でも有名な先崎学氏)達とは酒に麻雀など俗物的な遊びに興じる。この2人も最初はお互いを牽制し合うような関係だったが完全に悪友となっている。
そんな普通の若者としての村山聖は私にとってとても親近感が湧くキャラクターだった。
そしてそんな彼を見ると彼の中に見え隠れするこだわりなども見えてくるような気がした。
そう言えばこの映画、松山ケンイチさんや東出昌大さん、リリー・フランキーさんなどの演技も良かったが、物凄く目を惹いたのは荒崎を演じた、柄本時生さんの演技である。
村山の訃報を聞いた柄本さんの演技は物凄いものがあった。覚悟はしていた、わかっていた、でも、どうしてもやりきれない、受け止める事が辛いという演技がその数十秒の中に凝縮されていて、物凄く印象的だった。最近『勇者ヨシヒコと導かれし七人』で観た『妖精・テレートゥ』とは全く違う印象だ。彼はもっともっと伸びる役者になるなぁ…と感じた。
あとがきと簡単な考察
彼は自分の病気の事を多くは語らなかったと言う、しかしそれを隠すつもりも無かったのだろう。もっと単純に考えると「言えなかった」のでは無いだろうか?病気の事を同情もして欲しくない、上っ面で語られたくもない、だから本当の気持ちは言いたくても言えない。
彼のような境遇で無くとも、そういう経験はないだろうか?
言えないからと言って隠すつもりではないのだ、これは普通の事だと思ってもらいたかったのかもしれない、私は彼の事は知らないが、何となく思うに病気の事を語るときも「サラッ」と語っていたのでは無いだろうか?そこには「キミがそう重く受け止めることじゃないよ」という気持ちがあるのかもしれない。どんなに言ったところで「本人にしか本当のところはわからないんだ」と思っていたのかもしれない。
『だからそんなことで悲しんでくれるなよ』という気持ちがあったのかもしれない。
だけど、人間はそんな聖人にはなれない、時折、襲ってくるどうしょうもない気持ちが彼にもあったような気がする。
これは私の想像でしか無いが、なんだかそう感じてならない。
人は遅かれ早かれいつかは終わる。でも、そんな人生の中で自分を納得させるような出来事に巡り会えたのだろうか?と、これは自分自身を振り返る映画でもあった。
彼は、村山聖は道半ばで斃れ無念ではなかったか?
覚悟はしていたかも知れないが、それはきっと簡単に受け止めれることでは無く。無念もあった事だと思う。
そんな無念を前にして彼の見た世界はどの様に見えていたのか?
でも、そんな事を考えながらも葛藤して生きていく先に生きる意味があるのかもしれないなぁ……と、私は思わずにはいられなかった。
正直な話、映画だけの話をすれば、大喝采といえるものでは無かったと思う。
だけど、自分を振る変える事や生きることを考えさせてくれた『自分の人生に意味がある映画』だと思う。
この映画を機に私は残された動画や記事などを読みふけった。もっと彼の事が知りたいと思いった
。形式的なことを嫌う村山聖さん、九段を死後追贈されているが、『出来るなら生きてるうちにくれよ』とあの世で苦笑いしてるかもしれない。
こうやって資料を見ているのは多分ブログの感想が…とか彼の事が…とかそんな事ではない。
ただ自分のためだけに漁っている。今はそう思っている。なにか掴みきれなかったボンヤリとしてものを探そうとしている。
これが正直な感想である。
人生の『なにか』を見つけたい人にはおすすめの映画です。コレをきっかけに色々な文献を漁って見るのはもっとおすすめですよ。