さんじゅうろうの覚え書き

不治の中二病を患っている中年男『さんじゅうろう』の他愛のない覚え書きです。10年後には立派な黒歴史になっているかもれしない。

自分にとって最古の記憶を辿ってみた

アレコレと今後のブログのネタをノートにまとめながら、今日のネタを探していた。そんな時にふと思ったのが、『自分の最古の語れる記憶』ってなんだろう?と言う事。

幼少の頃の記憶を遡れば2歳とか3歳の頃の事も思い出せるのだが、それは物凄く断片的であり、パズルのピースの様なものであるため、語るとなると中々に難しいものになる。

しっかりと繋がった記憶として思い出せるのは私が4歳あたりの記憶。最近、何となく物忘れが多くなって来ているので、ボケ防止(いや…そこまで歳では無いと思うが…)の意味も込めて頑張って書いてみようと思う。

僕はあの社会問題の犠牲者だった

当時、両親はとある市場のお菓子屋さんをしていた。

おもちゃ屋さんと並ぶ『当時の子供が親に望む職業の双璧』である。

当時は「お菓子が食べ放題で良いなぁ」と言われていたが、意外とそうでも無い。そりゃ時には売り物のお菓子を盗み食いして何度か怒られてはいたが、中には食べれると言うことが辛い出来事だってあった。

3時のおやつはいつも『仮面ライダースナック』だった。それだけ聞くとちょっと羨ましいかもしれないが、私が食べていたライダースナックはおまけのライダーカードはついていない。

そう、『子供がカードだけ抜いて、捨てていったライダースナック』である。堂々と「お菓子いりません」とカードだけ持ち帰る子供。そんな事をしたら、店主である私の父に怒られるかもと店を出てからこっそりと捨てる子供。色々な形で捨てられて行ったライダースナックを回収してお店のバックヤードにはダンボール一箱分のライダースナックが常にあった。

それが自分のおやつだ。勿体無い話だが、捨てていった子供の気持ちはよく分かる。

正直言ってそのスナック『甘ったるくて、本当に美味しくない』のだ。

暫くは苦行の様な日々が続いたが、お店で袋のお菓子を「おいしくなーい!!」と言いながら食べている姿があまりにも営業妨害的だったのか、それとも親がそんな子供が可哀想に思ったのかは知らないが、次第におやつ時には10円貰って近所の駄菓子屋に出かけるようになった気がする。結局くじを1回ひいて終わっちゃってた様な気がするが。

それからあの大量の仮面ライダースナックがどうなったか知らないが、親は一切口にしていなかったので……まぁ、そういう事だろうと思う。

そういえば、あの甘ったるい味が自分の『味覚的な記憶』の最古の物だと思う。

ある日、急に僕はお菓子屋さんの息子じゃなくなった

幼稚園の年長組だった頃のことだと思う。ある夜、我が家でもあるアパートで食事の支度をする母の元に大慌ての知らせが入る。

「◯◯さん、市場が燃えてる!!」

母は大慌てで現場に向かった。父親も向かっているらしい、自分も行きたかったが置いて行かれた。その日、3歳の弟は流行りの風邪にかかり、熱を出して寝込んでいた。自分はさっきまで遊んでいた市場が燃えていると聞いて、怖いという気持ち半分とそれとは違ったドキドキした気持ちが入り混じった不思議な気持ちだった。何となくそんな気持ちを抑えたくて、必死にテレビを観ていた気がする。遠くで何台もの消防車のサイレンが聞こえた。

後から聞いた話だが、母親は急いで現場に向かって、炎の中に飛び込もうとして周りに抑えこまれたらしい。理由を聞くと置いてあるお釣りを取りに行こうとした…と、言うことらしいのだ。

お釣りは全部硬貨だったので、燃え残る可能性が高いのに、その時はかなり狼狽していて頭が真っ白になっていたと言っていた。

その狼狽ぶりは当時の私達にも伝わって来たのを憶えている。真っ青な顔をして帰って来た母親は「鍋…!!鍋!!」と言いながら帰ってきた。どうやら、あまりに慌てていたために夕食の用意をしていた母親は鍋に火をかけたまま飛び出したと思い込んでいたらしい。

実際にそうだったら、アパートも炎上していて、幼い私たちはとんでもない事になっていたかもしれないが、実際には火は消して出かけており大事には至らなかった。

 

翌日、焼け跡になった市場を自分も目の当たりにした。天井を見ると大きな穴が所々に空いており、そこから青空が見えて、なんとも不思議な気持ちになった。

当時の火事で1番被害を受けたのは布団屋さんだったようで、商品が燃えやすいモノだったので、ほぼ全滅だったと大人たちが話してるのを聞いて、子供心に可哀想だなぁ…と思った。

お菓子屋だった家の商品もあらかた燃えたのだが、少しだけ残ったものがあったようだ。

父親は積み上げられた中身の入ったジュースの瓶を見ながら「これは売り物にならないなぁ…」とボヤきながらも一本一本タオルでススを拭き取り、無料で火事場見物に来ていた子供達に配っていた。自分も一緒にタオルでススを拭き取りながら配っていた。今ならあり得ない話かもしれない。

 

それから大人の話し合いがあったのだろう。市場は建て替える事になった。鉄筋造りのしっかりした建物になった。

そしてその後、父はお菓子屋を廃業することになる。

どんな話し合いがあったのかは知らないが、建て替えの際に幾らかのお金が必要だったらしい。他のお店の失火だったのにおかしい話だと思ったが、幾らかは補填されてもそれ以上にお金がかかった上に建て替えによって、テナント料が高くなったのも原因の一つだったようだ。

詳しい話は子供だった自分には分からないが、とにかく父親はお菓子屋を辞めると決断した。

それからしばらくして引っ越しをしてそれ以来、市場に行くことは無くなった。

エピローグ

それから何十年か時は経ち、仕事で久し振りに市場の前を通った。

市場の前の道は当時ものすごく広く感じたが、片側一車線の普通の道路だった。

建て替えられた市場の建物も物凄く大きな建物に当時は見えていたが、結構、こじんまりしたものだった。当時、結構な道程だと思っていた駄菓子屋も流石に営業はしていなかったが、建物だけは十数m先に存在していた。多分、あの時のお爺さんもお婆さんはもう居ないだろう。

子供の時に見ていた視線と今の視線の高さは全然違うなぁ…と、時の流れを実感した。

市場は殆どのお店がやっているかどうか分からないくらいに錆びれていたが、市場を入ったところに布団が陳列されてあって、チョットだけホッコリした気持ちになった。

 

これが数十年前の私が色々と覚えていて語れそうな最古の記憶です。

こうやって時々、昔を思い出してしんみりするのも良いかもしれないなぁ。