【漫画】僕の週刊少年◯◯を振り返る・第2回~少年チャンピオン編~【全5回シリーズ】
現在、発行部数を公表していない少年チャンピオンが今、4大少年週刊漫画誌のどの位置にあるのか分からない。でも、少年サンデーの33万部(2016年7月~9月)よりも上ということは無いだろうと思う。
しかしそんな週刊少年チャンピオンはあの少年誌の雄である『少年ジャンプ』に部数で勝っていた時期が存在した。第二回ではそんな『少年チャンピオン』に焦点を当てて書いていこうと思います。
僕の週刊少年チャンピオンを振り返る1977~1983年
はじめに
少年チャンピオンを書い始めた時期、それがイマイチ思い出せない。なので過去の連載作品の一覧を眺めながら、印象に残っているタイトルが多くなった辺りで調べてみた所、1977年(昭和52年)が起点だったような気がする。
それ以前は単行本で親に買ってもらっていた記憶のほうが強い。その単行本というのは当時、沢山の小学生を虜にした野球漫画『ドカベン』である。始まったのは1972年なので、流石にまだ自分も少年漫画…という訳には行かなかったが、流行りモノという事で親が良く既刊をお土産代わりに買ってきてくれたのが嬉しかった。
毎週では無かったにしろ、時々チャンピオンを買って読んだりしていたので、本格的に書い始める以前のチャンピオンの連載漫画にも意外と詳しかったりする。
ここにいくつか1977年以前に連載を開始した漫画で印象に残っているものを挙げてみよう。
ブラックジャック (手塚治虫)73年から78年 79年以降不定期連載
月とスッポン (柳沢きみお)76年から82年
青い空を、白い雲がかけてった(あすなひろし)76年から81年 不定期
これらの作品は、私が定期的に購読し始める以前に連載が開始されたものだが、私が購読をはじめた77年においても連載は続いており、77年以降に後追いで単行本を買いはじめた作品である。
ブラックジャックはとにかく人面疽(じんめんそ)の話がトラウマになった。『カエルを石で潰した少年にカエルの体液がかかり、その場所からカエルの顔が浮き上がって来た』このエピソードの症例がトラウマになってしまい、以後カエルが苦手になったくらいだ。
がきデカはとにかくお下劣だった。お下劣がお下劣を呼んでお下劣だった。
でも小学生はお下劣が大好きだ。
750ライダーはあのホンワカした空気感をもっと!と思って初期の単行本を買いに行ったら全然違うバイオレンスなマンガだったという記憶がある。
『木枯らしが身にしみますね、こんな時はマスターの入れたコーヒーが飲みたいけど、今はバイト中』とか、そんなのを期待したら大間違い、主人公の早川光がチェーンを振り回したり、公道レースで相手を事故らせたりしている。
エコエコアザラクは怪奇漫画と言うよりエロい…というイメージが常にあった。ませていたのだ。
そんな中でも当時、一番ハマったのが『月とスッポン』である。主人公はバカでチビでドジな『ドジ新』こと土田新一。隣の家には幼馴染で成績優秀、スポーツ万能のバレー部エースの花岡世界。世界は新一を『お兄ちゃん』と呼んで慕っている。新一も照れてはいるものの世界の事が好きだ。お互いの部屋は向い合せである。幼馴染で凸凹コンビで…。そう、幼馴染ラブストーリーの王道というか原点に近い。
ドジで不器用だけど根性があり優しい新一の姿は色々なお手本になった気がする。
小さい頃は恥かしくて言えなかったけど、世界にも憧れたなぁ。
と、言う具合に私が少年チャンピオンを定期的に購入する土台は既に出来上がっていた。
そして1977年、サンデーとの2誌購入がはじまった。ホント、お小遣いは漫画しか買ってないな。
1977年開始の印象的だった漫画
チョッキン (吾妻ひでお)78年まで
ゆうひが丘の総理大臣(望月あきら)80年まで
スーパー巨人 (画・森村たつお 原作 滝沢解)78年まで
新連載の時の『ゆうひが丘の総理大臣』の見開きカラーページ。
この時から買いはじめたのを今でもハッキリ覚えている。
あと、スーパー巨人(ジャイアンツ)は「また野球か…」と思っていたがマイコンをテーマにした漫画で、コンピューターって凄いなぁと子供心にマイコンという存在を知り、物凄く欲しかった覚えがある、しかし実際は高価なものでおねだりでどうにかなるものでも無く、漫画で楽しむしか無かった。
既に伝説レベルのマカロニほうれん荘が始まったのがこの時期で、最初はきんどーちゃんの等身が大きかった。しかしとんでもない漫画が始まったという気持ちは子供心に強く感じた。
絵柄としては初期のマカロニほうれん荘よりも吾妻ひでお先生のチョッキンの方が好きだったなぁ。
この年、チャンピオンが200万部を超える。
1978年開始の印象的だった漫画
ロン先生の虫眼鏡 (画・加藤唯史 原作・光瀬龍)79年まで以降、月刊へ
レース鳩0777(アラシ)(飯森広一)80年まで
らんぽう (内山まさとし) 87年まで
東京レスキュー (画・筒井晶章 原作・牛次郎)79年まで
この時のチャンピオンはとにかくバランス感が最高だった。ドカベン・ブラックジャックを筆頭にどんな世代にも対応した漫画雑誌だった。この年からはがきデカ、マカロニほうれん荘と並ぶギャグ漫画、らんぽうがスタートする。
しかしこの年の収穫といえばやはり『レース鳩0777』だろうと思う。
空から落ちてきた鳩をひょんな事から拾って介抱する事になった少年がレース鳩の世界を知り、ドンドンのめり込んでいく。鳩レースと言うマイナーな世界を全く知らなかった主人公とともに0から学べるので読者にとっては分かりやすかった。ライバルでもあり時には協力し合う仲間たちと。主人公と鳩の0777(アラシ)は成長していく。
最も印象に残ったのはクライマックスでは過酷な1100kmレースが描かれる。その中で次々と命を落としていく仲間の鳩達に当時、釘付けになり。0777の最後はどうなってしまうのだろうとハラハラさせれた。コミックスは全14巻でさほど長期の連載ではなかったが、内容の濃い漫画でした。
この頃のチャンピオンの発行部数は205万部。少年漫画の雄である少年ジャンプにまもなく手
が届くところまで来ていた。
1979年開始の印象的だった漫画
がっぷ力丸 (森村たつお)80年まで
ドン・ドラキュラ(手塚治虫)79年まで
ふられ竜の介 (織三幸)80年まで
この年、時に大きな新連載はなかったが、既存の連載陣が完熟に近い輝きを放っていた。
チャンピオンにとってまさに最強の年である1979年。部数は250万部になり、とうとう週刊漫画誌の頂点に立つ。
そんな中ブラックジャックが一旦終了。手塚治虫はドン・ドラキュラの連載を開始するが短期で終了している。そうか…書いていて気がついたが、『がっぷ力丸』の『がっぷ』ってなんだろうとずっと思っていたけど『がっぷり決まる』って事だったんだね。
(がっぷ力丸はアマレスの漫画です)
この年、人気漫画の一角であった『マカロニほうれん荘』が連載終了。
単行本にして全9巻だったので、決して長期の連載では無かったのだが、そのインパクトは40年近くたった今でも健在で、復刻版などでは無く未だに普通に新品の重刷本を購入することが出来る。
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そして、この時期には新しい才能が芽吹こうとしていた。
1980年開始の印象的だった漫画
熱笑!!花沢高校 (どおくまん) 84年まで
ミス愛子 (鴨川つばめ) 80年まで-15回-
べにまろ (木村和昭)82年まで
風と海のサブ (あすなひろし) 80年まで
マカロニ2 (鴨川つばめ)80年-11回-
すくらっぷ・ブック (小山田いく)82年まで
チャンピオンの黄金時代の頂点は数字だけ見れば確かに昨年までだったのかもしれないが、『私にとっての本当の黄金期はこの年からはじまる』
この頃はブラックジャックは既に不定期連載になっていたし、がきデカも終了。レース鳩0777も終了した。
しかし、この年の初めに前年の新人漫画賞で佳作を受賞したある漫画が読み切りで掲載される。
『12月の唯』と言う読み切り作品はいっぺんに私の心を鷲掴みにした。
それから同じ作者の作品で『春雨みら~じゅ』『三角定規プラス1』と次々に読み切りを発表。そして『すくらっぷ・ブック』の連載が開始された。小山田いく先生の登場である。
少年漫画とも少女漫画とも取れるその絵柄に一気に引き込まれて、一気に虜になってしまう。
主人公たちは中学生で恋に友情に部活を謳歌しながらがも時には迷い、時には傷つきながらもその思春期を送っていく。当時、単行本に書かれていたジャンルは『学園まんが』であったが、今でもアオリによく書かれてあった『思春期(グリーンエイジ)・グラフィティ』と言うのが実際のジャンルだと思うし、多くのファンは多分それで通じると思っている。
ネット時代になってから『すくらっぷ・ブック』を検索するとファンがかなり多くて嬉しかったし、かなりコアなファンも存在している。
今年(2016年)3月、小山田先生の訃報を知った時はショックで3日ほど立ち直れない状態になっていたくらいだ。
『人生に影響を与えた漫画』として幾つかの作品が存在するが、私にとって『すくらっぷ・ブック』は間違いなくその中でも1・2を争うものだと思う。
話を戻そう。
1980年の初めにチャンピオンで『熱笑!!花沢高校』が始まった。私の父がこの漫画が好きで、時々お金を出してくれたので、お小遣いが楽になった、
顔がいかついいかにも悪の風貌をした主人公は実は心が優しくて気が小さいのだが、ハッタリで学校の番長に登っていくと言うストーリーだったと思う。作者は『嗚呼花の応援団』のどおくまん先生で絵は物凄かった。
マカロニほうれん荘が終了した後、ミス愛子の連載をスタートさせるがイマイチ振るわなかった。そしてこの年、『マカロニ2』の連載をスタートさせるのだが、マカロニほうれん荘の時のような勢いは既に無く、絵柄も完全に崩れてしまった事もあり11回で連載を終了している。
あと、小山田先生が受賞した1つ前の新人漫画賞で唯一の佳作作品を受賞したとり・みき先生の『るんるんカンパニー』も始まっている。
あと、これはこの記事をまとめている時に知ったのですが、この頃、カイジやアカギで有名な福本伸行先生が『ふくもと飛火』と言う名義で読み切りを何本か発表しています。
1981年開始の印象的だった漫画
さよなら!岸壁先生(画・石綿周一 原作・小池一夫)82年まで
アノアノとんがらし (えんどコイチ)82年まで
気分はグルービー (佐藤宏之)84年まで
チャンピオンには新人漫画賞の他にフレッシュ月例賞と言う毎月審査をする賞があった。
その賞で佳作を取り本誌掲載れた『遠足の日』と言う作品が好きだった。作者は遠藤幸一、後のえんどコイチ先生である。
この作品は病気の少女のもとに死神が現れて……と言う、後に少年ジャンプで連載され人気になった『死神くん』の原型とされる作品である。そのえんどコイチ先生の初連載作品『アノアノとんがらし』が始まったのもこの年である。後の『ついでにとんちんかん』に登場する抜作先生を思わせるようなキャラがこの時点で既に登場している。
そして同時期に読み切りを何本か発表され、連載がスタートした佐藤宏之先生の『気分はグルービー』。読み切り時より好きな絵柄とストーリーで期待をしていたのだが、実に期待通りの名作だった。
高校生のROCKバンドを題材にした名作。高校生ロックバンドを題材にした漫画は当時とても珍しく、その頃ちょうどギターなどをはじめたばかりの私への影響は計り知れなかった。
コンテストで全国優勝を果たした過去の名門バンド『ピテカントロプス・エレクトス』(以下ピテカン)。しかし、それは過去の栄光当時のオリジナルメンバーが殆ど抜けてしまっていた。
そんな中、主人公は高校二年生のの武藤憲二(ケンジ)がクラスメイトで学級委員長の松永寿子(ヒサコ)に誘われピテカンに加入する事から物語は始まります。決して健全とは言えないバンド活動(酒と煙草とR&R)を通じてケンジ達の成長が描かれます。楽器の描写がとても良く、絵がきれいな作品でした。
コレは私のどうでもいい思い出なんですが、印象に残っている一コマがあります。
若い巻数の方で、リーダーで高校3年生(後に早稲田受験に失敗し浪人生)の松原明(大将)が板チョコを包装紙をめくるシーンがあるのですが、そこ一コマがずっと印象的で、板チョコを食べるたびに思い出してしまいます。(本当にどうでもいい話ですね)
コミックスは全13巻。復刻などは一切されておらず、現在は入手困難。私も12巻と最終13巻しか持っていません。いつか全巻揃えてやるとヤフオクで調べてみたら全巻セットで9000円超え……。コアなファンの多い作品でもあります。
この年はドカベンの連載が終了した年でもあります。
1982年開始の印象的だった漫画
あんどろトリオ (内山亜紀)82年まで
正平記 (柳沢きみお)82年まで
プライムローズ (手塚治虫)83年まで
燃えろ一歩(いちふ)(堂上まさ志)83年まで
未来警察ウラシマン (画・明石のぼる/乾はるか 原作・タツノコプロ)83年まで
82年、『すくらっぷ・ブック』の終了と『月とスッポン』の終了で私のチャンピオンへの気持ちは少しづつ離れていきます。しかし、小山田先生は直ぐに『ぶるうピーター』の連載をはじめ、柳沢先生は『月とスッポン』の人気キャラ藤浪正平をメインにした『正平記』をスタートさせます。しかし、どちらも良作ではあったのですが、以前の様に気持ちが盛り上がりません。私に残されたのは気分はグルービーだけでした。
しかしそんな中、未来を感じさせてくれる連載がスタート。
未来警察……の方じゃなくて『プラレス3四郎』です。
フィギュアサイズの人形が操作によって作動してプロレスをすると言うコンセプト。
これはいまだに叶えられない夢の1つですね。自作ロボットを戦わせると言うイベントは実際にあり、確かに凄いとは思いますが、プラレス3四郎を読んで、散々未来を妄想してきた世代にとってはどうしてもしょぼく感じてしまいます。
実現しそうで実現が難しそうな事って、物凄くハマりやすいですね。
プラレス3四郎はその後アニメにもなっていますが、そちらの方はあんまり観てないです。
あと、試みが面白かったのは『未来警察ウラシマン』TVアニメと連載がほぼ同時にスタート。いわゆるメディアミックス戦略と言うやつの先駆けだった気がします。
しかし、途中で作画が変わったりと、なかなか難航したようです。
1983年開始の印象的だった漫画
クルクルくりん (とり・みき)84年まで
SEWING (柳沢きみお)85年まで
熱くんの微熱 (立原あゆみ)84年まで
セパハン (服部かずみ)86年まで
この年のチャンピオンはズルい(笑)大甲子園がずるかった(いい意味でね)。
水島新司作品のキャラが勢揃い。掲載誌の枠を越えてチャンピオンに集結ってのは流石にびっくりした。よく実現したなあ…と驚くばかりだった。正直ラストあたりではもうチャンピオンを購入していなかったので、飛び飛びで喫茶店などで読んでいた。自分の予想では明訓高校と青田高校が決勝でぶつかるんだろうと思っていたが、そのカードは準決勝で実現することになる。引き分け再試合で2回対戦してる事から、ほぼ実質的なクライマックスはこの対戦だったと思う。
あと、チャンピオンに立原あゆみが来たのは驚きだった。立原あゆみと言う完全に女性と思わせる名前で絵柄は完全に少女漫画。どこの雑誌で連載してたか知らないが、私はこの作者の『桜桃物語』と言うフワフワなファミリー物コミックスをこっそり買い揃えていたので、驚きは二倍。
「ちがうよ、あんたはチャンピオンじゃないよ!」そんな事を思っていた。
その後、最も「チャンピオンしている漫画」『本気』の連載が始まり、そのときも『女性なのに強いられてる、強いられてる』とハラハラしていたが、看板漫画に成長していく。
立原あゆみ先生が男性だと知ったのはずっと後の事である。
その後
1984年の24号、気分はグルービー最終回を持って、購読終了。
その後は少年サンデー同様、喫茶店などで定期的に読むようになる。
バキあたりの時代は殆ど知らない。バキはアニメでハマった。チャンピオンの漫画に再び触れる事になるのは息子たちがハマった『浦安鉄筋家族』の頃である。
今ではチャンピオンからのアニメ化をよく見かけるようになったが、映像化するにふさわしい漫画が多かったあの時代にアニメになった作品が少なかったのはとても残念に感じている。
購読期間はサンデーと比べて短かったが、物凄く内容の濃いチャンピオンの黄金時代をリアルに体験できたのは貴重だった。
あとがき
今回のチャンピオンは思い出がとにかく多かった。特にすくらっぷ・ブックと気分はグルービーの2作品は本当に大好きで、本がボロボロになったら買い直しを繰り返していた。
次回は…少年チャンピオンを買い始めて週刊誌2冊買いの状態になった私に襲いかかる三番目の刺客。『パンチで!!パンチで場外に人が飛ばされるなんて!!!』
次回は、あの少年漫画の雄『少年ジャンプ』にスポットをあててみたいと思います。