『こち亀』連載開始の1976年を振り返る
こち亀、終わるってよ…
何となくボーっとネットのニュースを見ていたら、結構衝撃的なニュースが飛び込んできた。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称:こち亀)の連載が2016年9月17日発売のジャンプで終了するというのだ。
こち亀が始まったのが1976年の6月、ここから1回も連載を休むこと無く40年。毎週、毎週ジャンプに載ってない週は無いと言う金字塔を打ちたてての連載終了。他に確かに長寿連載という漫画はありますが、休載無しと言うのは本当に凄いことです。(ホント…開設2週間たらずで毎日更新するよーって言いながら、ポンポン更新を休んでる私とは違うわ…そりゃAdSenseの審査も落ちるはずだわ…。)
私の様な40代のおっさんでも少年時代はありましたし、今の子どもさんも当然、こち亀を知っているでしょう。そんな、おっさんと少年を繋ぐ架け橋の様な存在でまさに『少年漫画の鑑』『キングオプ少年漫画』たる存在でした。
作者の山止……いや秋本治先生。本当にお疲れ様でした。
連載開始当時の世相を振り返ってみよう
さて、今回はそんな『こちらか葛飾区亀有公園前派出所』の連載が始まった1976年(昭和51年)を振り返って行きたいと思います。
1976年、世間を最も騒がせたニュースといえば『ロッキード事件』。アメリカの大手航空機メーカーのロッキード社の航空機受注をめぐる大規模な汚職事件が明るみになった年です。
2月に発覚し小佐野賢治氏の証人喚問での『記憶にございません』と言う発言、3月には事件に関係してると言われた日本の黒幕とも言われていた児玉誉士夫氏の私邸に俳優の前野霜一郎(本名:前野光保)の操縦するセスナ機が特攻をかける。そして7月には田中角栄前首相の逮捕、首相経験者の逮捕と言う前代未聞の事件に発展していった大事件です。
当時、私も子どもだったので、事件の全容をリアルタイムで知ることはありませんでしたが、『記憶にございません』や『黒いピーナッツ』などの言葉は子供心にもよく覚えています。
流通の世界では……
今ではお馴染みのヤマト運輸の個別宅配サービスの『宅急便』の登場。
日清食品からは『日清カップ焼きそばU・F・O』や『どん兵衛きつねうどん』が相次いで発売。(これを調べていて知ったんですがU・F・OってU美味い・F太い・O大きいの略だったんですね。)
先日、発売が終了した家庭用VHSビデオデッキですが、VHSビデオデッキ第一号の『ビデオカセッターHR-3300』(日本ビクター)が発売されたのもこの年、値段は25万6000円!!今を思うとトンデモない価格です。
東急ハンズの一号店が藤沢に出来たのもこの年になります。
海外では今や巨大企業となったアップルがこの年の4月に創業。(翌年、Apple Computer Inc.設立)アップルの伝説はこの年から始まるのですね。
さて、芸能とかスポーツでは…
この年の1月、先日お亡くなりになった大橋巨泉さんの代表的なクイズ番組である『クイズダービー』の放送が始まってます。一般参加者がクイズに答えるのでは無く、著名人が解答者となり、一般参加者は解答者に点数を賭けると言う形式のクイズで、解答者にはオッズが振り分けてあり、大穴解答書の篠沢教授に全部賭けや手堅く本命である『はらたいらさんに全部』という終盤の攻防が観ていて楽しかった。
この年は後に国民的アイドルになる二人組のピンクレディーがデビューした年ですね。歌って踊るアイドルとして大人気で、小中学生は振り付けを真似して踊っていましたね。どストライクの年代の方は今でも振り付けを覚えている人が多いと思います。私もレコード買いましたよ。
今もなお続く長寿番組の『徹子の部屋』もこの年にスタートしてます。
この時のNETテレビ(後のテレビ朝日)は徹子の部屋の他にも『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』や『欽ちゃんのどこまでやるの!?』などの放送を開始させていて、攻めてる印象がうかがえます。
芸能と言えば、当時の人気歌手 克美しげるが愛人を殺害したと言うショッキングなニュースもありました。
スポーツではこの年、モントリオール五輪が開幕しています。女子体操でルーマニアの妖精ナディア・コマネチが注目されたオリンピックでした。(日本では違う意味でコマネチが有名ですが…)
あと巨人の王貞治選手がベイブ・ルースの持つ本塁打記録を抜く715本塁打を達成したのもこの年でした。
ヒット曲はもう絶対に破られる事が無いと思われる『およげ!たいやきくん』(実際は前年の12月25日の発売)が450万枚を超えるメガヒット(歴代1位)。社会現象にまで発展しましたね。関連グッズなどもかなり発売されていて、当時、私も『ひらけ!ポンキッキ』を観るのが楽しみでした。「あ~今日はいっぽんでもニンジンかぁ…」とか朝から騒がしかったです。
この年は子どもをターゲットにした曲の豊作年で『山口さんちのツトム君』や『志村けんの東村山音頭』12月には『デンセンマンのデンセン音頭』などが発売されてます。
他にもビューティフル・サンデー(田中星児)北の宿から(都はるみ)俺たちの旅(中村雅俊)なごり雪(イルカ)などの名曲がありますね。
さてさて、当時のアニメ(テレビまんが)は…
この年は『まんが日本昔ばなし』とか『母をたずねて三千里』そして『キャンディ・キャンディ』などが放送されてましたが、私のイチオシは『超電磁ロボ・コンバトラーV』ですね。
コンバトラーV、ほどそのスペックが有名なロボットはいません。身長と体重はあまりにも有名ですが、南原ちずるの存在を忘れてはイケません。当時の男子の心を鷲掴みですよ。
本当に今で言うと『南原ちずるは俺の嫁』ってヤツですね。私は声を大にして言いたい!
『安彦先生、ありがとう!!!!』と。リン・ミンメイ、まほろさんと並ぶ、私の好きな三大女性アニメキャラの1人です。(中年男性が熱くなりすぎると、周りが冷え込む話題で恐縮です)
あと『ポールのミラクル大作戦』とか『ろぼっ子ビートン』がすごく好きだった。
ろぼっ子ビートンはビートンのデザインがすごく好きで、いつもノートに落書きしてました。
それから、昨今『踊るエンディング』が持て囃されてますが、このビートンのEDも踊る系です。
その他も色々ありますが、ちょっと大人の時間に放送されていた『花の係長』、はじめ人間ギャートルズと同じ園山俊二先生の絵柄に興味があり、夜更かしして見ようとしていたのですが……。あのOPは流石に親と観ることが出来ずに寝たふりとかトイレに行った振りとかして何とか回避しようとしていました。(確かYouTubeで花の係長と検索すると見れたと思います。)
1976年ひとつとっても語りだしたら語り尽くせないですね。とりあえずこの辺りで一旦締めるとしますが、そんな時代から40年、劇画調のギャグ漫画で当時連載を開始して、本当に長い年月の間、活躍してきた両津勘吉と言うキャラクター。そりゃ、終わりはいつか来るものです。それは仕方のない事です。でもその活躍はこれから先も語り継がれて、多くの人の思い出のひとつになるんだろうなぁ…と思ったりします。